2003年のシーズン最後の大植氏の公演。相変わらず大植フィーバーはすごい。今日の会場も超満員でほとんど空席がなかったほど。大曲だったことも大きいと思うが、やはり大植人気が原因だろう。
ショスタコーヴィチのレニングラードは大フィルにとって、実に10年ぶり2度目の定期での演奏となるらしい。私自身としても6年前の京響で聴いて以来なので、1年前から楽しみにしていた公演だ。しかし、座席が非常に悪く、前から3列目の端っこだったので、見えるものといえばコントラバスとヴィオラのお尻、そして指揮者とコンマスくらいのもの。この大規模な曲はオケ全体を見渡すことに楽しみがあるだけに、非常に残念な位置だった(評価が◎ではないのは場所のせいが大きいです)。
さて、演奏の方だが、場所のせいもあるのか、比較的おとなしい開始だった。もっと重低音を響かせて堂々たる音響を構築するものかと思っていただけに肩透かしだった。しかし、スネアが登場して会場は一変した。今までになかなか感じることができなかった緊張した空気が張りつめた。結構速いテンポで行進が進む。ちょっと早すぎるくらいのテンポがとても心地よかった。あまり標題音楽としてとらえてはいけないのだろうが、ナチスドイツの侵攻がものすごい勢いで迫っているような緊張感を描くとしては最適だったのかも。ただ、金管・木管はどうしても遅れがちで、かなりぎこちなさを感じた。その不安は次第に取り除かれ、勢いが頂点に達したときの大フィルの美しさは格別のものとなった。数年前であればただの勢いに任せたやかましい演奏か、崩壊した演奏になっていたはずだが、これも大植氏の手腕だろうか。迫力は保ちつつも、決して乱雑にはならなかった。最近そのように思う演奏が増えているのはうれしい限りだ。
弦楽器は最初は少し堅かったが、曲が進むにつれ、徐々に深さを増していった。やはり最もきれいに響いたのは第3楽章だろう。重苦しい雰囲気のある曲だけに、涼しげな風を感じるメロディには心安らいだ。
フィナーレは大植氏の本領発揮だろうか。徐々にテンポを落としつつ迫力と栄光に満ちた堂々たる締めくくりを演じてくれた。当然会場は熱狂的になったのは言うまでもない。大植氏の渾身の指揮ぶりは感動をさらに大きなものへと変えてくれる。その渾身の指揮に渾身の演奏で応えてくれたのが、客演コンサートマスターの長原幸太氏だ。コンマスの岡田氏が前回の定演で定年したため、今回客演でつれてきたのだと思うが、まだまだ若い奏者だ。金属的で少しばかり粗い演奏だったが、この曲を表現するには合っていたように思う。しかも、苦しそうな、泣きそうな、さまざまな表情を見せながらの大きな身振りは、大植氏との絶妙のツーショットとなっていた。第4楽章では晴れ晴れとした表情で栄光に向かって弾いていた。オーケストラのメンバーがこれほど豊かな表情で演奏するのを見たことがない。それだけに今回の長原氏の効果は非常に大きかったのではないだろうか?
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